椎名町ってどんな町?

椎名町駅 写真

皆さんは椎名町をご存じですか?

西武池袋線で池袋から1つ目の駅が『椎名町』です。椎名町という町名は、古くは江戸時代後期にすでに地元では使われており昭和39年11月改正までの現在南長崎1丁目から6丁目、目白4・5丁目の地域が椎名町でした。
さて、椎名町は西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が大正4年開通した時、東長崎駅も開設されましたが、遅れて大正13年6月長崎村の玄関として椎名町駅はできました。当時長崎村はまだまだ東京郊外の農村地帯としての色合いが強くその生活実態は長崎神社の祭礼や金剛院境内の道しるべや板碑(いたび)に残っていることで伺うことができます。また、千川浄水から分水された谷端川が長崎村の中央を流れ、 水量も多く流域の灌漑用水として、製粉の水車に利用されたり、子供たちの川遊びの場でもありました。
大正12年の関東大震災以後、東京都心から移住する人が増加したこと、農地の宅地化、サラリーマンの増加と次第に長崎町も変貌していきます。
戦後、道路交通網の発達や都市化整備により昭和45年までに、千川、谷端川の暗渠工事が終わり、これにより椎名町界隈もまた変わり、駅前商店街や長崎小学校前通 り商店街(明和会)なども立ち上がり、新旧混在する活気あふれる街として歩み始めたのでした。
21世紀、椎名町はどのように変わっていくのでしょうか?
椎名町のすぐ側を通る山手通りは、あと数年で地下高速道路が完成して各高速道路に直結し、椎名町駅(西武線)北側に「出入り口」が出来ることになっています。 我が街・・・椎名町はどんな発展が待っているのか、非常に楽しみです。椎名町駅南口の再開発もあるでしょうか。
開発が進んでも、 いつまでも老人と若い人たちが共に生きる明るい街でありたいと願うものです。
明和会商店街 地図明和会商店街 地図

長崎神社

椎名町駅より徒歩1分 長崎1-9-4

秋の大祭

氏子28町会による例大祭 毎年9月第2土曜、日曜に行う。神社の付近は大変な賑わいになります。屋台のお店などなどお祭りといえば、やはり御輿ですね。日曜日の夕闇に始まる大人御輿の連行渡行。これは見逃せないヨ!

問い合せ先:明和会会員 長二若睦副会長
水野和明 TEL.03-3974-7510

獅子舞

民俗芸能として、豊島区無形民族文化財に平成4年4月指定される。獅子舞の歴史は古く、元禄の頃より始まったと伝えられる。毎年、5月第2日曜日に神社境内にて総勢20人以上にて舞う。きっと、いろいろな思いが浮かぶことでしょう

問い合せ先:獅子舞保存会事務所
長崎1-15-6
並木 稔 TEL.03-3973-8990


豊島区立長崎小学校

長崎2-6-1 TEL.03-3956-8146

椎名町駅北口より明和商店会をゆっくり進み、歩いて約6分。まずは現状、今年創立119年を迎えます。開校は明治8年5月10日(1885年)に始まるそうです、平成16年10月1日現在、これまでの総卒業生は12,404名、在校生175名。教職員、第35代 石塚吉之校長 ほか計26名。


長崎アトリエ村

1930年大正デモクラシー、モダニズムの流れの中、豊島区長崎を中心として若い美術家向けに借家群であるアトリエ村が形成されました。住宅は赤いセメント瓦に木壁で北側が15畳くらいのアトリエになっており、大きな窓とトップライト(天窓)があるモダンな家でした。住居分は3〜4畳半1室、家賃は13〜22円位 でした。その中で最大規模のさくらが丘パルテノンと呼ばれた長崎2丁目のアトリエ村には絵画や彫刻を学ぶ学生集団が自炊をしながら、創作活動をし、あるときは池袋の喫茶店や酒場などで芸術論を戦わせ未来の夢を語り合っていました。しかし、日本の世相は時代に軍事色を強め、芸術の分野でも制約が加わりアトリエ村の住人たちも応召や疎開また空襲などで自由な雰囲気は失われて行きました。


トキワ荘

トキワ荘は旧椎名町5丁目(現南長崎2丁目)に1952年に建てられた木造モルタル2階建板敷き4畳半、家賃3,000円のアパートである。

ここに1953年から1961年までの間に、手塚治虫を中心に寺田ヒロオ、藤子不二夫、石の森章太郎、赤塚不二夫、つのだ次郎など、10数人が住み彼らの仲間が出入りしていました。

現在のマンガブームの先駆けとなり、ここから多くの傑作が生まれました。
建物は老朽化のため1982年12月に取り壊されましたが、彼らの流れのあとを引き継ぐ漫画家は長崎に近い江古田、東長崎に住み活躍しています。

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